写真提供:株式会社さの萬
「さの萬」は創業以来、トレーサビリティーの確立や日本初のバーベキューセットの開発、熟成技術を用いたドライエイジングビーフの打ち出しなど、つねに業界の新しい道を切り拓いてきました。ブランドとして展開しているのは、富士山麓朝霧で生育された「富士朝霧牛」や200日以上をかけて飼育することで豚本来の旨味を育てるオリジナル豚「萬幻豚」。経営の背景には、佐野氏が抱く地域への思いがあります。
「今となっては食の宝庫として地域ブランドが確立されている富士宮ですが、僕の若い頃はそんなふうに名前が売れる前で特別有名なものはなかった。だから田舎出身だと思ってなんだか故郷を恥ずかしく思う気持ちがありました。それはきっと誰しもあったもので、故郷を聞かれてもつい隠してしまったり、地元のものをバカにして食べなかったり」
それが悔しくて、当時、自ら立ち上げたのが「駿州大宮逸品会」でした。自慢できる一品(逸品)を持つ富士宮の生産者を世に送り出すことで、まちを知ってもらおうと思ったのです。富士宮の伝統文化や自然環境を資源として食文化を創造するという共通の思いを持って集まったのは、お肉はもちろん、酪農、野菜、果物、ニジマスなどの生産者から造り酒屋までさまざま。
「みんな、生まれ育った土地が好きだからという気持ちだった。単に郷土愛でしたね。生産しているもの同士をマッチングしたり、あちこち走り回って共同で展示会を開催してみたりと、富士宮のものをアピールする場をどんどん作りました。そしてさまざまな商品が富士宮グルメとして世に認められ始めたんです」
自慢できるものがまちにあるということはとても大きなことだと佐野氏は言います。以前は出身を問われても、「富士山の麓のあたり」とか「富士市の近く」なんて答えていた人たちが「私、富士宮出身です」と胸を張ってくれるようになり、地元のものを食べてみようと地産地消が見直されるようにもなったと言います。
「自分たちのまちにはこういう個性溢れるものがあるとか、他のまちにはないものがあるとか、胸を張って紹介することができれば、それは次第に一人ひとりの気持ちなかで愛着を作っていく。胸を張って答えれば、試してみようかと訪ねて来てくれる人がいる。そうやって愛着が循環され、富士宮のまちの意識とまちのブランドを作ってきたと思います」
富士宮には、訪ねて来てくれる観光客を引きつける景色もあります。それが、富士山の麓に広がる酪農の風景です。
「みなさん富士山と牛が一緒に入る珍しい景色を写真に撮りたくなるんですよ。そうしているうちに、牛も触ってみたくなる。そうやって興味が生まれていくんです。まちづくりには、全国各地に豊富にあるものよりも、数の少ないものや、新しい価値を見いだせるものの方が話題性があって有利に働きます。その法則からすれば、黒毛和種が主流を占めてきた時代のなかでこれだけ少なくなった和牛の1品種である無角和種にも、その力があります。まちの魅力をつくる源流にはいつも、『この逸品を作ってやろう』という人の姿があります。僕が可能性を感じているのは、阿武町でもそういう姿に出会えたこと。もう一度まちの人たちが自慢して語りたくなるような牛を育てて、世に出していこうとすれば、まちづくりの新しい道筋が見えてくるように思います」
株式会社さの萬 代表取締役
佐野佳治氏
大正3年(1914年)創業の精肉店「さの萬」の三代目店主。新たな食肉文化を作り続けるとともに、まちづくりにも力を入れる。日本におけるドライエイジング第一人者であり、熟成肉ブームの仕掛け人でもある。